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- 心肺・総合外科について
- 心肺・総合外科の歴史
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| 木村 孝蔵 教授 (初代) |
下平 用彩 教授 (2代) |
石川 昇 教授 (3代) |
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| 桂 重次 教授 (4代) |
久留 勝 教授 (5代) |
卜部美代志 教授 (6代) |
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| 岩 喬 教授 (7代) |
渡邉 洋宇 教授 (8代) |
渡邊 剛 教授 (9代) |
明治16年11月に金沢医学校の外科医長に木村孝蔵が任命された。これをもって本学の外科の開設とされている。明治30年10月、下平用彩がさらに任命されたが、31年7月、木村孝蔵はドイツに留学し、32年帰朝するに及んで、同12月外科は二部に分かれ第一部長 木村孝蔵、第二部長 下平用彩となった。35年木村孝蔵が大阪府立医学校に転出し、下平用彩が第一部長に就任した。大正13年2月 下平用彩が逝去し、14年4月九州帝大より石川昇が赴任した。
はっきりした形で第一外科となったのは石川昇の時代と考えてよい。そして近代外科学教室としての体制と内容とを具えての活動が開始されたのである。昭和12年1月 石川昇は肺結核により急逝した。翌13年7月東北帝大から桂重次が赴任、16年3月東北帝大に転出した。昭和16年4月東京帝大出身で財団法人癌研究会附属康楽病院外科医長の久留勝が赴任し、中枢神経系の外科、癌の外科治療が盛んとなった。29年久留勝が大阪大学に転出した。同年6月東京大学から卜部美代志が赴任した。呼吸器外科、心臓外科の基礎が築かれた。昭和48年、卜部美代志教授は定年退職した。
昭和48年5月、札幌医科大学から岩喬助教授が教授として赴任した。心臓外科、呼吸器外科、消化器外科、血管外科の診察、研究が飛躍的に進歩した。昭和58年、第一外科は開講百周年を迎えた。平成3年3月岩喬教授は定年退職し、名誉教授となった。
平成3年11月第一外科助教授であった渡辺洋宇が第一外科教授に就任、開講以来はじめて当教室出身者による教授が誕生した。教室の伝統的研究課題である呼吸器外科、心臓外科、血管外科、消化器外科を中心に研究が進展した。
平成12年9月現教授 渡邊剛が第9代教授に就任。平成13年10月、附属病院の臓器別診療開始に伴い当科の名称も第一外科から”心肺・総合外科”と新たになった。




























